バックれマン

バイトは最短2日でやめる

死に至る病

死に至る病とは絶望である』( セーレン・オービエ・キェルケゴール 著 「死に至る病」より)

なんとも厨二くさいタイトルではあるがれっきとした思想家の本である、私自身読んだことはないのだがタイトルの通り感じる日々なので引用させてもらった。

 

私の家の廊下(といっても短いが)には首を吊る縄が常に垂れ下がっている、もちろん首を吊るためである。日々縄をかけては具合を見るのが日課なのだが今日ついにあと少しで意識が飛ぶところまでたどり着いたので遺書代わり、とまでは言わないが自殺が自殺たる証拠となりうる自殺の意思の表明と自らの死に至る病についていかにして追い込まれたかを書き残そうと言う試みである。

 

そもそもから憶測で申し訳ないのだが私は鬱病だと思われる、理由としては過去に患っていたこと、鬱は完治せず寛解という状態しか取り得ないこと、そして過去と同じ症状が現に出ていることからそう判断したのだ(もっとも、日々首に縄をかけてる時点で尋常な精神とは到底呼べはしないが)

案外3億円でもポンと口座に振り込まれればそんなことなんかやめて日々笑顔に過ごせるとは思うがいくら命は地球より重いといえどそんな奇特な人は見たことがない、親を悲しませるのか?といわれても充分悲しませてるしこのままでもさらに悲しませるだけだ、更生する気は無いのかといわてもその気力はない、甘えだと言う意見には全くの同意で最後の努力と自己の尊重のために自ら死を選ぶのである、夢ややり残したことはないのか?と聞かれれば夢もやり残したこともたくさんある、関内二郎を食べたいし彼女も作ってみたい、デートも夜の嗜みもしてみたいし復活を待ち続けてるバンドもある、上げ始めればキリはないのだが叶わないとして「ああ、じゃあ仕方がないか」といった程度のものでしかないのだ、死ねば意識は消える、目が覚めない眠りにつくだけである、虚無に対する恐怖はもちろんあるが、ほぼ確定的な未来の苦痛に比べたら未知の恐怖のほうが数段楽である。

結局のところ甘えであって責任から逃れたいだけなのだ、だから最後の最後くらい許してくれ。